人生の終焉を美しく終えるために、葬儀やお墓、そしてこれからの生き方を見直すための「終活」を始めましょう。

ご挨拶

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「美しい身終い塾」塾長の葛西浩二でございます。

数年前からマスコミなどによって盛んに取り上げられていますから、
皆さんはすでに「終活」という言葉はご存知のことでしょう。

生前に自分の葬儀やお墓を決め、そして家族に残しておくための
「エンディングノート」を書こうというような趣旨です。

ただ「終活」ということは大変重要で有意義なことではあるものの、
一方では年々進んで行く超高齢化社会の到来において
「終活ビジネス」という新たな市場が生まれたことにより、
「あなたはまだ終活していないのですか? ほんとに大丈夫?」と、
ことさらに不安を煽ってビジネスに繋げようとしているということも、
皆さんがまず認識を持っていただきたいことだと思います。

「終活」でお墓や葬儀そして遺産問題など、自分の死んだあとの問題や
不安を解消することは有意義なことですが、
本来の目的というのは、自分の過去をじっくり振り返る機会を持ちながら、
これから終焉に向けての人生を、どう生きるべきかを考えるための
作業であることを忘れてはならないと思います。

私たち「一般社団法人 終活サポーターズ協会」では、お気づきのように
「終活」という言葉ではなく「身終い」(みじまい)と呼んでいます。
実際には「身終い」と書く用語は無く、「身じまい」や「身仕舞い」
というのが正確な日本語ですので、あくまでも「造語」なのですが、
私たちはあえて「身終い」という言葉を使っております。

私たちは生活の中で「身支度を整える」ことがありますが、
それはいったいどんな時でしょう。
日常生活の中で、遊びに出掛けたり買い物に行ったりする時、
家着から外出用に替えることを「身支度」とはあまり言わず、
それは「服を着替える」なのです。

では、結婚式や葬儀などの儀式に参列する時に、
ドレスや和服、そして喪服を装うときはどうでしょう?

そんな時には「身支度を整える」という言葉が最適な気がします。
それはきっと遠い昔から冠婚葬祭という場には、
神様や仏様がいらっしゃるからではないでしょうか。

私たち日本人は目に見えない大きな存在に対して畏敬の念を抱きます。
だからこそ、神様や仏様の前に立つ際には、
身なりをきちんと正すために「身支度を整える」のです。

私たちの意思では止めようもない大きな力で、
いつか「あの世」に迎え入れられる時のために私たちができることは、
その大いなる力に敬意を払いながら、潔く人生の終焉を迎えるための
心構えを持つことであると思います。

そして、その心構えを私たちは「美しい身終い」と名付けたいと考えます。


「終わりよければすべて良し」と言いますが、
人生とはまさにそのようなものかも知れません。


人それぞれに違う人生を歩んでいるのですから、
そこに「正解」や「不正解」などある筈もありません。

ただ、自分の命が尽きる時に納得して「死」を受け入れられること、

最後に「ありがとう」と笑顔を残してこの人生を終えることができるならば、
人は幸せではないかと思うのです。


お金や地位、そして必死で溜め込んだモノはアチラの世界へ持って行くことはできません。

残された家族にとってのかけがえのない贈り物は
「ありがとう、素敵な人生だったよ」というアナタの言葉であり、
その一言が残された者たちの心を癒すのです。


今日をどう生きるか?ということは、病に伏し、明日をも知れぬ者にとっては切実な課題ですが、
実際のところ、死期が近い遠いなど誰にも解るはずはなく
誰にとっても「明日が来る」という保証などありません。

だからこそ、平均寿命から逆算して、減って行く残りの時間に怯えるのではなく、
自ら積極的に与えられた時間を楽しみ、

日々の生活にケジメをつけながら、新たな朝を迎えることに感謝し、
有意義な一日を送りたいものです。